有限会社 オートスタジオ スキル  メインワークス
RESUME for AUTO STUDIO SKILL Co.,Ltd


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嶋根 健 (←この人、レース界で知らなきゃもぐりです)
原 光輝 (オーリンズの貴公子)
嶋根 翔
 (女性ファン多し!)




1985

よりよいメインテナンスを求めて、今までの経験等をふんだんに使い 新たなメインテナンス業務の模索を始める。

1986

新たなメインテナンス業務を東京都町田市をベースに本格的に開始。 当時、販売直後の携帯電話を用いて出張メインテナンスを進める。 (株)レーシングチームカタヤマ、契約ライダーと業務提携。全日本ロード レース選手権のメインテナンス業務も受注。また、HONDA RS250を ベースに258ccのマシンを自社製作、GP500クラスにスポットで参戦させ入賞。
この時ニカシルメッキ(リンク)のリペアの技術力を蓄積。

1987

メインワークスという形で八王子にワークショップを設置。 昨年に続き(株)レーシングチームカタヤマ、契約ライダーと業務提携。 全日本ロードレース選手権のメインテナンス業務も継続。ワールド グランプリにもフィールドを模索、スポットにてメインテナンス業務を。
真夏の祭典、鈴鹿8時間耐久レースには自社コーディネートのチームを結成。難しいと言われていた2ストロークエンジン(HONDA NS400R)で チャレンジ。見事決勝進出を計る。

1988

メンテナンス会社としてオートスタジオ スキルを3月に 東京都町田市に法人登記。
国内を中心にシリンダーのニカシルメッキのリペア業務を開始。 レーシングチームカタヤマヨーロッパと契約。チーフメカニックを派遣。 ワールドグランプリ500ccクラス フルメンテナンスを行う。 これにより活動のメインフィールドを全日本からワールドグランプリに移す。
第1回シルクロードラリー大会出場者よりメインテナンス業務の受注。

1989

元世界チャンピオン、片山 敬済氏からの熱望により(株)レーシングチー カタヤマに於いてテクニカルマネージメントを受注。
チーフエンジニア ならびにメカニックを派遣。
第12回パリ−ダカールラリーの出場チームのチームコーディネートを受注。
パリダカールラリーの車両製作並びメインテナンスも担当。 現地にもメカニックを派遣。

1990

全日本ロードレース選手権250ccクラスのJECSモータースポーツ プロジェクトチームにチームコーディネートを受注。チームを総括的に見る。 全日本ロードレース選手権250ccクラスにエンジンチューナーとしてエンジンを供給。
チーム ティレル(WGP フォーミラーー1) よりコーディネートの依頼、 アテンドメカニックを派遣。 第9回ファラオラリー(エジプト)にいすゞのテスト車両のメインテナン スを受注、メカニックを派遣。 昨年に引き続き第13回パリ−ダカールラリーのチームコーディネートを 受注。車両製作並びにメインテナンスも担当。チーフメカニックも派遣。

1991

独自のチームを作り、ヨーロッパ選手権にチャレンジ。日本から世界への新たなレースの道を模索。これまでのノウハウを基にヨーロピアン チャンピオンシップにパワーアップパーツの供給も行う。
国内においても昨年に続きJECSモータスポーツプロジェクトチームに チーフメカニックを派遣。また、アドバイザーも派遣、チームを総括的に見る。
第14回パリ−ダカールラリーのチームコーディネートを受注。 また、車両製作並びにメインテナンスも担当。チーフメカニックも派遣。

1992

昨年に続きヨーロッパ選手権にチャレンジ、ランキング争いを行う。 元HRCライダーの清水選手率いるヒーロースポーツよりメンテナンスを受注。 ワールドグランプリ250ccクラスにメカニックを派遣。
パリモスクワ北京ラリーの車両製作並びにメインテナンスを受注。
現地ワークショップ(St-Lo フランス)にメカニックを派遣。
グランプリプライベートチーム チームウダガワの立ち上げに参加。

1993

チームウダガワよりゼネラルコーディネートを受注。立ち上げからのチーム運営をアレンジメント。もちろんテクニカルコーディネートも担当。 ワールドグランプリ開催期間中(9ヶ月)フランスにオートスタジオ スキルの ヨーロッパブランチを設置、ヨーロッパでの活動レスポンスの向上を図る。
国内においてはMCFAJのエキスパート250ccクラスに参戦中の村上 直明選手( レーシングチーム タクミ)にマシンレンタルをし、2年連続チャンピオンを獲得。

1994

ワールドグランプリなどレースで培ったノウハウを広く一般に広めるためにワークショップを現在の場所(八王子)に移す。 より深い技術の提供のために各種プロジェクトを企画。一般ユーザー向け のオーダーを幅広く受けられるよう改善。
PFCブレーキパッドの開発、拡販。

1995

ワールドグランプリで再確認をした、オーリンズ製品の優位勢を広めるためにオーリンズオフィシャル テクニカルラボを開設。
メインテナンス活動を通してオーリンズ普及活動を推進。

1996

本社を町田市から現在の東京都八王子市に統合。 国内のメインテナンス活動の模索を計る。
チーム ギュィナボォデー(耐久チャンピオンチーム)よりオファー、 ボルドー24H耐久レースにメカニックを派遣。

1997

全日本ロードレース選手権シリーズ全戦にオーリンズのオフィシャル テクニカルサービスを開始。シーズンを通してのサービス体制を確立。 また、オリジナルのリヤダンパー(オーリンズベース)をリリース。 関東の地方選手権シリーズにミシュランタイヤを投入、レーシング サービスを開始。

1998

IT時代を先読みしてIT事業部を設立、ホームページ製作などを開始。
クアンタムレーシングサスペンションのオフィシャルテクニカルラボを開設。 鈴鹿8時間耐久レースに初参戦のチーム(team Out Run)よりチームの コーディネイトを受注。チーフメカニック等を派遣、29位で完走。

1999

昨年に続きteam Out Runのに現地メンテナンスを受注。またプライベート初(国内)のインジェクション仕様(リンク)で鈴鹿8時間耐久レースに 参戦企画、エンジンマネージメントも担当。テスト走行は良好だった物の 実戦投入には至らず。

2000 オリジナルのブレーキパッドの企画、開発を始める。年末には待望の メタリカ(Metallico)ブランドの焼結パッドをリリース
2001 日本人初(日本スポーツ国籍)のSUPER SIDE(世界選手権)の出場に向けてマシンマネージメントを受注。現地(オーストラリア)にも赴く。

1980-85

株式会社 東京トヨペットに在籍  
チーフメカニック及びメカニックトレーナーを歴任 
2級自動車整備士 取得 トヨタ技能検定 1級取得
新たなメインテナンス業務の模索

1986

以前より準備を進めていたメインテナンス業務を本格的に立ち上げ開始。販売直後の携帯電話を用いて出張メインテナンスを進める。
(株)レーシングチームカタヤマの菊池 正剛選手と業務提携。全日本ロードレース選手権のメカニックとして活動を開始。
レーシングマシンのコンストラクターとして有名な柳沢 雄造氏のYUZO学校の門下生となる。
HONDA RS250をベースにボアアップシンリンダーを製作、258ccのマシンを作り、GP500クラスにスポットで参戦させ入賞。

1987

(株)レーシングチームカタヤマの菊池 正剛選手と業務提携。全日本ロードレース選手権のチーフメカニックを。
より一層の技術向上を目指しワールドグランプリにスポットで欧州に。
サンマリノグランプリでは絶妙のキャブレターセッティングでGP250ccクラスで最高速をマーク
また、2ストロークを極めるべくSUZUKA 8H耐久レースにHONDA NS400Rで参戦。

1988

メンテナンス会社 有限会社 オートスタジオ スキルを正式に設立、登記。
代表取締役に就任。
活動のフィールドのメインを全日本からワールドグランプリに移す。
レーシングチームカタヤマヨーロッパとチーフメカニック契約。
第1回 シルクロードラリー大会 メカニック及びナビゲーターとしてTRDのテスト車両(セリカGT-Foue)で参戦。

1989

元世界チャンピオン、片山 敬済からの熱望により(株)レーシングチームカタヤマにチーフエンジニアとして全日本ロードレース選手権チームに就任。 チームを総括的に見る。
第12回 パリ−ダカールラリー メカニック及びナビゲーターとして参戦。

1990

JECSモータースポーツプロジェクトチーム(ライダー 丸山 浩)の チームエンジニアに就任。
チーム ティレル
(WGP フォーミラーー1)にアテンドメカニックとして渡英。
第9回 ファラオラリー(エジプト)にいすゞ自動車のテスト車両用のメカニックとして参戦。
第13回 パリ−ダカールラリー チーフメカニックとして渡仏。チームのコーディネーターも兼任。

1991

世界への道創りとして独自のチーム(ライダー 堀 吉成)を作り、ヨーロピアンチャンピオンシップロードレースに チーム デュレクターとして欧州を転戦。
夏には鈴鹿8時間耐久のチーフエンジニアもこなす。
第14回 パリ−ダカールラリー チーフメカニックとして渡仏。またコーディネーターも兼務。
JECSモータスポーツプロジェクトチームのアドバイザーとして全日本ロードレース選手権250ccクラスチームを総括的に見る。

1992

前年に続きヨーロピアンチャンピオンシップロードレース チーム デュレクターとして日本と欧州を飛び回る。 ワールドエンデュランスチャンピオンシップ チーフエンジニアも兼任。世界選手権のランキングもゲット(Tame MALTA PIAA)。
パリーモスクワーペキン ラリーレイド 車両製作並びにメインテナンスを担当。
グランプリプライベートチームのチームウダガワ立ち上げに参加。

1993

ワールドグランプリ500ccクラス チームウダガワ所属のチーフエンジニアとして就任。現地でのチーム運営全般のアレンジも行う。

1994

より深くエンジンを考察するため再度大学(武蔵工業大学)に聴講生として戻る。

1995

ワールドグランプリで再確認をした、オーリンズ製品の優位勢を広く一般に広めるためにオーリンズオフィシャルのテクニカルラボを立ち上げ計画を企画。

1996

ワールドエンデュランスチャンピオンシリーズのボルドー24H耐久レースに耐久チャンピオンチーム(チーム ギュイナボォデー)のメカニックとしてスポット参戦。

1997

地方選手権シリーズにミシュランタイヤのアドバイザーとしてサーキットサービス活動を行う。

1998

鈴鹿8時間耐久レースに初参戦のチームのコーディネイトを請け負い29位で完走をさせる。 14年ぶりにライダーとしてもて耐に参戦、31位完走。

1999 

プライベート初(国内)のインジェクション仕様で鈴鹿8時間耐久レースに参戦を企画、チーム(team Out Run)のコーディネイトならびにエンジンマネージメントを担当。

2000 オリジナルのブレーキパッドの企画、開発を担当。年末には待望の メタリカ(Metallico)ブランドの焼結パッドをリリース。
2001 日本人初(日本スポーツ国籍)のSUPER SIDE(世界選手権)チーム(2001 W.C.C.P)のテクニカルデュレクターの就任、チームのトータルコーディネートも兼務。


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